パラオで日本兵1万人が玉砕した。しかし島民が1人も死ななかったという謎。

歴史

1944年9月 
日本が統治していたパラオのペリリュー島で日米対戦が勃発。
島を守備していた、日本兵約1万の死によって、


「桜の花のごとく散り、ペリリュー島の日本兵の全滅」
を意味する電報が本部に送られた…

これにより、ペリリュー島での日米決戦は敗北に終わった‥

日本人の100人に3人しか知らない真実とは?

しかし、日本兵は果敢に戦った…
戦車10倍・重火器100倍・航空機200倍という
圧倒的戦力差のあるアメリカ。

2,3日もあれば戦いに決着が着くだろうと言われた。
しかし、日本兵は決して怯(ひる)まず持久戦に持ち込み、
73日にもわたる死闘を繰り広げた。

しかし、このペリリュー島での決戦には、非常に不可解な点があった…

それは、アメリカの砲爆撃や激しい空爆の嵐が
島に降り注いだにも関わらず、
島に住んでいた1,000名近い現地民に

「ただの1人も死者・負傷者が出なかった」ことである。

あなたがもし、日本は戦前、アジアを侵略した
残虐な国家だということに
少しでも違和感があるとしたら…

パラオのペリリュー島での
この「忘れ去られたもう一つの日米対戦の秘話」を読んで欲しい。

なぜ、島民は一人も死亡しなかったのか?

という謎を知ることで私たちの記憶から消された
「歴史の真実」が見えてくることでしょう。

今も残る戦場跡

植民地支配されたのに今も日本を愛する国パラオの不思議

19世紀後半、パラオはスペインとドイツに支配されていた。
白人の統治時代には、賃金なしで倒れるまで働かされ、
倒れれば、鞭打ちの罰を与えられる日々…

暴動を起こせば、皆の前で銃殺され、
公園の木に吊るされ見世物にされた。

奴隷のように搾取、虐殺され、
パラオの人口は減り続けた。

このことによりパラオの人口は
半世紀で90%も減少した。

しかし、ドイツが第一次世界大戦で敗れたため、
講和条約で日本がパラオを獲得。

そのためパラオ人たちは、
今度は日本人に支配されて、
また虐殺されると怯えていた‥

しかし、日本の統治時代は、
白人のそれとはまるで違っていた

日本はパラオに学校を造り、
病院、道路、水道、電気などさまざまな
インフラ整備を行った。

さらに、パラオの人々に対し医療・教育の支援を行い、
日本人とパラオ人は共に暮らした。

また、パラオを統治した日本軍は、
パラオ本島の南に位置する
「ペリリュー島」に進駐し陣地を作った。

ペリリュー島の島民も
はじめは日本兵に怯えていた。

日本兵は島民に丁寧に話しかけ、
彼らの警戒心を解いていった。

やがて島民たちは日本兵と
仲良くなり、日本の歌を一緒に歌ったりした。

忘れられたペリリュー島の日米対戦の秘話

パラオは東南アジア諸国への中継地点だった。

しかし、1944年なると、戦況は日本に不利となり、
いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。

島民たちは「日本を尊敬」していた。
だから、大人も子供も日本軍と一緒に戦う決意をした。

島民の代表数人は日本の守備隊長
のいる指揮所を訪れた。

守備隊長であった中川州男(なかがわくにお)
は温厚な人物であった。

だから、きっと自分達島民の頼みを喜んで
受け入れてくれるに違いない。そう確信していた。

そして、自分達も一緒に戦わせて欲しいと
言う確固たる意思を伝えた。

一同の話が終わると、場が沈黙に包まれた‥

しばしの沈黙の後、隊長は突然激高し、
このように叫んだ。

「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」

彼らは一瞬、
何か起こったのかわからなくなり、
自らの耳を疑った。

日本人は仲間だと思っていたのに・・・。

「一緒に肩を組み、歌を唄った日本兵たちの
思いは見せかけだったのか?」

「やはり、こいつらは目分たちを見下していたのだ」

指揮所を出てからの帰り道、島民は裏切られた想いで、
みな悔し涙を流した・・・

船に乗って島を去る日、日本兵は誰一人見送りに来ない。
島民達は、重い足取りで船に乗り込んだ。

しかし、船が島を離れた瞬間
日本兵全員が浜に走り出てきた。

そしてかつて一緒に歌った
日本の歌を歌いながら、
手を振って彼らを見送った。

先頭には笑顔で手を振る
あの隊長が。

その瞬間、島民達は悟った。

あの隊長の言葉は、自分達を
救うためのものだったのだと・・・。

島の人たちは、なにか、自分でもわからない声を
あげながら、涙でかすむ目を必死にあけて、
ちぎれるほど手を振り返した。

日本兵は現地の島民が戦火に巻き込まれないように
別の島へ疎開させたことにより、

兵士が全滅するほどの激しい戦いがあったにも関わらず、
現地民には戦死者が一人もでなかったのである。

当時、日本兵に助けてもらった島民
はこのように述べている。

「日本軍は、ペリリュー島民を全員、疎開させることで
保護してくれた。だから島民に死傷者は出なかった。
日本軍への感謝は何年たっても忘れない」
ミノル・ウエキさん(当時の駐日パラオ大使)

「日本の兵隊がダイハツ(上陸艇)で連れて行ってくれた。
他の安全な島に着いた後も、憲兵が2日かけて
ジャングルの中をエスコートしてくれた。

なぜ自分たちの島から避難しないといけないのか
分からなかった。

2年半ほどして島に戻り、草木がなく石だけの島を見て、
もし、残っていたら死んでいたと思った。
家族で日本軍に感謝した。
アマレイ・ニルゲサンさん(当時9歳)

終戦後の1947年、島に戻った島民は多くの
日本兵の亡骸を見て涙した…

彼らは、島中に散らばる日本兵の
遺体ひとつひとつをきれいに片付け、埋葬した。

また島には戦死した1万人の日本兵を祀る
「西太平洋戦没者の碑」が造られた。

それには目のモチーフがかたどられており、
その目は3200km先の靖国神社の方角を見つめている。

日本に似せたパラオの国旗

戦後、パラオはアメリカに統治されるが、
紆余曲折を経て1994年10月に正式に独立を果たす。

日本が太陽で、私たちは月だ。
私たちは日本がいて初めて輝ける。

月を中央にすると日本の色違いになっておこがましい。
中心から少しずらそう。

そんな議論がなされ、
この「月章旗」の国旗が国民投票で選ばれた。

また、パラオの国定教科面の章には
「日の丸の旗のもとに」というタイトルが付けられた。

全462ページの内、36ページは
日本統治時代のことが記載された。

パラオ人の「日本への感謝の気持ち」は
子々孫々まで語り継がれている。

なぜ、日本はパラオを植民地として、
「搾取」の対象にじなかったのだろうか?

あなたはここまでの話をどう思いましたか?

天皇、皇后両陛下が2015年4月9日、パラオ共和国のペリリュー島を初めて公式訪問

ペリリューの戦いから71年後の2015年4月8日に
天皇皇后両陛下がパラオをご訪問された。
現地では、パラオの人たちに感謝の気持ちを
お伝えになっておられます。

メディアの報道では、「日本は大東亜共栄圈という
大義名分を掲げ、アジア各国を侵略し、植民地支配を行った」
という声しか聞こえてきませんが…

現地の証言・事実を紐解くと
パラオを始め、台湾、朝鮮、満州‥などに対して
日本は立派な統治をしていたこと

そして、現地の人たちからは
とても感謝されていたという真実が見えてきます。

もちろん日本も、
ただの援助目的でやっていたわけではなく、
「自国の利益のため」と言う側面もあるでしょう。

しかしなぜ、日本は他の欧米列強の国とは違い、
獲得した領土を単に「植民地」として扱い、、
資源やカネを搾取しなかったのか?

そしてなぜ、終戦前で戦力が足りなかったにも関わらず、
守備隊長はパラオ人の協力を断ったのでしょうか?

実際にインド兵はイギリス軍として戦っていたように、
当時の欧米列強は統治した先の現地民を兵士として
戦わせるということは普通のことだったにも関わらずに。

なぜ、日本はアメリカと戦ったのか?

その理由は

それは、
「欧米列強による人種差別、
植民地支配からアジアを守る」
という大義を持っていたからです。

その当時の欧米人は、
アジア人(有色人種)を人として扱つていませんでした。

「有色人種は人間ではない、白人だけが人間である」
このような狂った思想で、白人は450年間もの間、
世界を支配下に置いていたのです。

日米衝突が始まる前、
日本とタイを除くアジアの国は、
ほぼ全て欧米に植民地支配されていました。

アジアで唯一、まともに
欧米と立ち向かえるのは、
日本だけだったのです。

もし、当時、日本がアジアのリーダーとして
立ち向かってなければ、

今もなお、欧米による植民地支配、白人による
人種差別が続いていたかもしれません。

それぐらい、私たちの先人は、
世界にインパクトを与え、
世界の歴史を変えたのです。

そして、日本だけじゃなく
世界の国々が今もなお、
その恩恵を受け続けているのです。

その証拠に
日本への称賛の声がこんなにもあるのです。

タイ副首相タナット・コーマン
「あの戦争によって世界の至る所で、
植民地支配が打ち壊されました。
これは日本が勇敢に戦ってくれたおかげです」

シンガポール第2代首相ゴーチョクトン
「日本軍の緒戦の勝利によって、アジア人は自分たちも
欧米人に負けないという自信を持った」

マレーシア第4代首相マハティール・ビン・モハマド
「わたしの心の中にアジア人としての自信が
次第に芽生えてきた。マレー人だって
日本人のように決心すれば、なんでもできるはずだと」

仮に、戦後の教科書やメディアが言うように、

「その当時の日本は狂った野蛮な国」
「アジアの解放ではなく、アジアを侵略したのだ」
「自分たちの父祖は侵略者であり犯罪者である」

そうであるなら、あなたは、このパラオの真実をどう読み解きますか。

日本人の尊厳を侵し、思考を歪めた米国

アメリカは戦後、日本が二度と立ち上がって
復讐できないように、特別な占領政策を実行しました。

日本との戦闘は3年半で
終わったのに、占領期間には
その二倍の7年間もかけました。

なぜ?

それは、
「人種差別、人種戦争」という真実を
日本人の記憶から消し去り、

新しいでっち上げの記憶に塗り替えるため、
それだけの時間が必要だったのです。

私たちの父祖が乗り出し
て行かざるを得なかった、
この時代の「人種差別、
人種戦争」の視点を持たないと、

なぜ日本は台湾や朝鮮を統治したのか?
これらの真実が見えてきません。

その結果、日本の統治やその他の外交の
意図が見えず、一方的に侵略であった
という歴史観を押し付けられました。

「日本はアジアを侵略した悪い国だ」
と日本人自身が言い続けています。

戦後、GHQによって刷り込まれた、
自虐史観が続くせいで、今の若い人は
日本人としての誇りを失っていますし、
個人主義に走っています。

「今だけ、金だけ、自分だけ」の今の日本人。
戦時中の気高い精神をもった日本人が少なくなっています。

戦前の日本人を擁護すると、すぐに極右だの戦争主義者
だのと、冷たい視線を浴びせられる気味悪さ。

これは戦後、GHQによって骨抜きにされた自虐史観が
植え付いている証拠です。

正しい歴史認識を取り戻し、私たちの先人
がやってきた事を後世に継承していく。

それが今の私たちができることだと思いますし、
それを語り継いでいくのが使命だと思っています。

『大日本帝国の地政学一日米衝突の根源』上島嘉郎より


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