もうすぐ師走。
あっという間に駆け抜けた平成最後の年。つまり令和元年。
今年は色々とありました。
2月には母の死去。3月には義父の死去。
懸案になっていた、自宅の新築の引き渡し。
初孫の誕生。
冠婚葬祭を一度に経験するという1年間でした。
皆で同じものを食べることで繋がるという日本文化。
そこで気がついたのが、なんとお金のかかること(笑)
もちろん、私もお金は掛かりましたが、兄弟、親戚も金入が続いたと思います。
日本人は、金品を贈りあう習慣が定着して、ややもすると行事そのものよりも贈答のほうに関心が寄せられる傾向がみられます。
では、それほど日本人は贈りもの好きな国民で、贈りもの上手かというと、どうもそうではないようです。
相手の方に心を寄せようとして、自然発生的にギフト行為につながるのではなく、贈らねば、贈るものだから、といったしきたりや義務感が先んじているように思われます。
それは「何を贈るべきか?」「金額は?」といった相談からもうかがえます。
「ご祝儀の相場」の調査がマスコミで報じられ、人々の関心をよぶことからも察せられます。
つまり、贈りもの好きというより、世間体や形式に従う生活習慣の一つの表れといってもいいでしょう。
もちろん、口下手で、態度で心を表現することの苦手な日本人が、その気持ちを品物によって補うという効果もあるとは思いますが。
本来、贈りものとは心の代弁者。
相手に届けたい気持ちや心があって、それを正確に表すための補助手段です。
つまり、心が「主」であり贈り物は「従」なのです。
にもかかわらず、現状では心をさしおいて形式、義務感からギフト行為が発している例が多くみられます。
それは「お返し」に最も顕著に表れます。
「もらったら返す」式の贈答習慣は古くにはなかったものでした。
こうした傾向は、取引きとまではいわずとも、これではお互いに心をかけあい、末永い交流をたもつという関係にはふさわしくありません。
「贈ったゾ」の実績作りのために金品が行きかうのであれば、人間関係が逆に複雑多岐にわたり、交際範囲の広がった現在、人間関係が疎ましくなりはしないでしょうか?
かっての地域社会における相互扶助の贈り物とは異なる、現代人のふれあいにふさわしい贈答の文化を考え、育て上げたいものです。
それは、心の使者としてのギフト本来の姿を取りもどす作業であるということは、とりもなおさず、豊かで心地よい人間関係をもたらすものになると思われます。
この1年、嬉しいにつけ、悲しいにつけ人さまからいただいた金品が、どれだけ嬉しく、また心の支えになったかしれません。
贈答品のルーツ
農耕民族である日本人にとって、天候の変化がもたらす災害や凶作は、生命にかかわる大問題でした。
天災を少しでも避けたいと願う気持ちから、神にご加護を祈りヽ供物をささげたことが、贈答のルーツだと考えられています。
神様にささげる供物は神饌(しんせん)と呼ばれますが、収穫された穀物や果実、それをもとにしてつくった酒などが供されました。
ささげたあと、座にいた人たちで神饌をわけあって飲食し、神様のご加護を願うことを「神人共食」と呼びます。
これは、神様と人間が同じものを食べることでつながりが強くなる、という考えから始まったといわれています。
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