2021年、今年の大河ドラマ「青天を衝(つ)け」は渋沢栄一の物語ですよね。
渋沢といえば、「士魂商才」「論語とソロバン」の思想を思い起こします。
徳川明武(あきたけ)の随員として渡仏した渋沢栄一が現地で見たものは「人間愛の理念」に裏打ちされた資本主義の社会でした。
ですから、渋沢栄一にとって私利(自分を利する)は即ち利他(他を利する=利益還元)であり、一貫して公益の追求者であったのです。
この考え方ってすごいですね。
欲の塊のような社長わらしなんぞ、とてものじゃないが真似は出来ません。
一種の悟りの境地なのでしょうか。
「7つの習慣 人格主義の回復」との出会い
大河ドラマ「青天を衝け」の初回を見た時、
社長わらしが思い出したのは、ある経営セミナーに参加した時の情景です。
参加者は48名でした。
冒頭、講師より「この本をご存知の方は手を上げて下さい」との質問。
約40名の方が手を上げました。
「読んだことのある人は?」
半数以上の人が手を上げました。
この本の存在すら知らなかった社長わらし。
「カッコ悪かったな~」
この本こそ、「King of 自己啓発」と呼ばれる「完訳7つの習慣 人格主義の回復(スティーブン・R・コヴィー著)」でした。
やはり縁のあった「7つの習慣」
「この本は、経営者にとって名著名作といっても過言ではありません。是非ともお読み下さい」
と強く薦められました。
しかし、社長わらしは、すぐに購入しませんでした。
著者は、スティーブン・R・コヴィー氏という米国人です。翻訳版ということに抵抗がありました。(外国の本って翻訳者する人によって、面白くないことが多いですもんね)
社長わらしは、へそ曲がりなのでしょう。
それから、数年後、梅田の紀伊国屋に立ち寄った時のこと。
偶然にも、「完訳7つの習慣 人格主義の回復」という表紙が目に飛び込んできたのです。
それも、うずたかく積まれています。
そこで、しばらく立ち読み。
読み進めていくうちに、内容がスッーと肚(はら)に落ちてくるのです。
思わず購入していました。
世界中で4000万冊、日本でも240万冊読まれているといわれ、ビジネスマンであれば知らない人はいないと云われる名著なんですね。通常10万冊売れれば、ベストセラーと言われます。
この度「完訳 7つの習慣 30周年記念版」が発売されました。
ていうことは、30年間も読まれ続けているということなんですね。
社長わらしが購入して、もう7~8年前になるでしょうか。
元から絶たなきゃダメ!
「部下の忠誠心がゼロなんです」「高校生の息子がグレ始めました」「仕事は大成功。でも結婚は大失敗」「結婚生活が味気ないんです」「友達の成功が妬(ねた)ましくてたまりません」「ダイエットが続きません」「子供がお手伝いを全然してくれないんです」「とにかくいつも時間が足りない」
こんな世界中の悩みを解決し続けて30年。次はあなたの悩みを解決しますということです。
あなたが経営者なら、また管理職なら、自分磨きを求めているなら是非、是非、読まれることをお薦めします。
この本の内容はご自分で読んでいただくとして
第1部にこう書かれていいます。
パラダイムシフトの力
※ 左の写真は、何に見えるでしょうか。
「上品な女性?それとも老婆?」パラダイムというのは思い込みという意味です。
左の写真をある人は、上品なご婦人といい、ある人は老婆といいます。
あなたは、どちらにも見えるようになって欲しい(対応性・柔軟性)と思います。それがパラダイムシフトです。
「パラダイムシフト」という言葉を初めて使ったのはトーマス・クーンという科学史家で、画期的な著作『科学革命の構造』に出てきます。
同書の中でクーンは、科学の分野における重要なブレークスルー(障壁となっていた事象の突破)のほとんどは、それまでの伝統、古い考え方、古いパラダイムとの決別から始まっていると述べています。
例えば、古代エジプトの天文学者プトレマイオスにとって、宇宙の中心は地球でした。しかし、コペルニクスは、激しい抵抗と迫害に遭いながらも中心は太陽だと主張します。
このパラダイムシフトによって、それまでとはまるで異なる視点から全てが解釈されるようになったわけです。
この「7つの習慣」を身に着けるということは、このパラダイムシフトを覚悟しなければなりません。
多くの人がすぐに「どうすればそんなにうまくいくのですか?コツを教えてください」などと聞きます。
こういう質問をする人は、自分の基本的なパラダイムに従っていることに気がついていません。
その本音は、「私の今の痛みをパッと解消してくれる応急処置を教えてほしい」ということなのでしょう。
そういうことなら、この手の質問に答え、望みどおりのアドバイスをしてくれる人はどこにでもいるだろうし、教えてもらったスキルやテクニックはとりあえず効くかもしれません。
つまり、表面の傷や急性の痛みなら絆創膏や鎮痛剤で取り除けるでしょう。
しかし、隠れた慢性疾患はそのままですので、いずれ別の急性症状が現れるのです。急性の痛み、差し迫った問題に取りあえずの対処療法でごまかし続けているうちに、原因となっている病巣は悪化するばかりなのです。
問題をどう見るか、それこそが問題なのです。(元から絶たなきゃダメということでしょうか)
ただ、これだけは覚えておいて下さいね。
「説得されても人は変われるものではない。誰もが変化の扉を固くガードしており、それは内側からしか開けられない。説得によっても、感情に訴えても、他人の扉を外から開けることはできない」
「渋沢栄一」が、なぜ「7つの習慣」なの?
それでは、「渋沢栄一」が、なぜ「7つの習慣」と関係があるのでしょうか。
どちらにも、幸せを追い求めるプロセス、つまり日本人が大切にしてきた利他の精神、自分がどうなるかより他者のためにいかに生きるかという原理原則が、その底流にはあると思うのです。
天保11年(1840)、武蔵国・血洗島村。藍玉づくりと養蚕を営む百姓の家に、栄一は生まれます。
おしゃべりで物おじしないやんちゃ坊主は、父・市郎右衛門の背中に学び、商売のおもしろさに目覚めていきます。当時はまだ、士農工商の時代。
ある日、その事件は起きます。
本来は、叔父の宗助と父の市郎右衛門が行く予定だったのですが、紺屋まわりで忙しかったため、栄一は父の名代として代官のところへ行くこととなります。
「こたび姫様が、輿入れのため物入りゆえに、渋沢宗助1000両。渋沢市郎右衛門500両の御用金を申しつける」
栄一は、「はい」だけ言うように宗助から言われていましたが、そうしませんでした。
「御用を伺いにきただけなので、今お受けすることはできません。父に確認した上で、了承すれば再び参ります。」
代官は、「承知しましたと言え。」
しかし、栄一は聞き入れません。心配した宗助がその場から栄一を引きずりだしました。
その晩、宗助から経緯を聞いた市郎右衛門は、栄一に確認します。
「なぜ、すぐ払うと言わなかったのか?」
「百姓が、武家に尽くすのは道理だと思う。けど、年貢を取りそれとは別に御用金をひっきりなしに命令する。その道理は、どこからくるんだい?」
「お上の悪口は、やめろ。明日行って、払ってこい。」
翌日、栄一は御用金を届けました。その帰りに叫びます。
「承服できんぞ。バカバカしい。」
栄一は官尊民卑がはびこる身分制度に怒りを覚え、決意するのです。
「虐(しいた)げられる百姓のままでは終われない。武士になる!」
栄一の身に大きなパラダイムシフトが起きた瞬間です。
そして、時代の波にも「明治維新」というとてつもなく大きなパラダイムシフトが起きたのでした。
最後に、「第7の習慣/刃を研ぐ」
森の中で、必死に木を切り倒そうとしている人に出会ったとしよう。
「何をしているんです?」とあなたは聞く。
すると男は投げやりに答える。
「見ればわかるだろう。この木を切っているんだ」
「疲れているみたいだね。いつからやっているんだい?」あなたは大声で尋ねる。
「もう五時間だ。くたくただよ。大変な仕事だ」
「それなら、少し休んで、ノコギリの刃を研(と)いだらどうだい?そうすれぼ、もっとはかどるよ」
とあなたは助言する。すると男ははき出すように言う。
「木を切るのに忙しくて、刃を研ぐ時間なんかあるもんか!」
第7の習慣は、刃を研ぐ時間をとることです。
第7の習慣を身につければ、第1から第6までのすべての習慣が実現可能になるのです。
「読書」も刃を研ぐ習慣だといえます。