誰かに話したくなる「あの世」の話。満中陰ってどうなってんの?

ご相談

「こんにちは!社長わらしです」

今日は、怖~い「あの世」のお話しです。


この仕事(贈答品店)をしていると「あの世」の世界について話をすることが多々あります。
これって避けて通れないんですよね。

お客様は、お葬式が終わり「満中陰志(香典返し)をお願いしたいんですが‥」とご来店されます。

ちょっと待ってください。
本来なら、お疲れになっており公的手続きを優先させるのがまず先でしょ。
っていう話なんですがね。

せっかちな方が多いと言うよりも、初めてのことなので詳しく知りたいということなのでしょう。

「満中陰志(香典返し)は遅くてもいいですよ」
とアドバイスをさせていただくと、皆さんほっとした顔をなさいます。

満中陰志にたいする社長わらしの想い

ですから、ここでは「満中陰とは何か」「なぜ満中陰志(香典返し)は急ぐ必要がないのか」
について少しお話しさせていただきます。

「私たちの仕事は、お客さまが欲しいと思われている物・サービスを通じてご縁をいただくこと」
だと社長わらしは考えています。

この想いから言うと、満中陰志での私たちとお客様との接点は「人が亡くなる」ということから生まれてしまいます。

これはあって欲しくないことですが、必ず人には死がやってきます。

ですから私は否定的に考えず『亡くなった方がご縁を作ってくださった。このご縁を大切にさせていただこう』と考えています。

残された方たちに死後の世界をお伝えすることも『縁をいかす』ことにつながると考えています。

そのことで人生って素晴らしいなと思っていただければ少しは役目を果たしたかな?と思えます。

お葬式の考え方

私は宗教に詳しい人間ではありませんが、信仰というのは、死によって引き離される死者と生者の悲しみを癒(いや)し、魂の再生を約束して心を慰(なぐさ)めてくれるように思えるのです。

特にお葬式という儀式がなかったら、大事な人を亡くしたご遺族の心は、行方(ゆくえ)を失うのではないでしょうか。悲しみから開放されず、泣き続けるより仕方ないように思うのです。

ご遺族はお葬式という儀式を執り行うことによって死者の魂の救済をはかり、次の世での幸せを願って、大事な人を失った死のショックから立ち直るのだと思います。

そう考えるとお葬式というのは遺族の悲しみを和らげ、故人のいないこれからの人生をしっかりと生きるためになされる儀式であるような気がします。

そのような意味で素人ながらに、宗教ではどのような考え方に基づいてお葬式が行われるのか、私なりに書かせていただきたいと思います。

仏教とは

仏教は、百済(くだら)から西暦538年に日本に伝わってきたといわれています。

その後は国家宗教として採用され、日本人の思想や文化に計り知れないほどの影響を与えて来ました。

仏教は、なんといっても、世界宗教ですから勢いが違います。

いや、仏教の勢いが強いということもあるのですが、それ以上に、日本人がうまく仏教を取り入れ、日本の文化に合うようにアレンジして新しい日本国家の思想や枠組み造りに利用したということもいえるのではないでしょうか。

日本の仏教は、あくまで日本化された独自の仏教なのだと思います。

日本独自が悪いといっているわけではありません。逆に、私たちは日本人なのですから、日本化されたやり方でなかったらなじめなかったはずです。

仏教は、言うまでもなくインドで始められた宗教です。今から約2500年前、釈迦(しゃか)族の王子として生まれたゴータマ・シッダッタが6年の修行の末に悟りを開き、ブッダとなりました。
「ブッダ」とは、インドの言葉で「目覚めた」という意味です。

お葬式と関係のなかった仏教ですが、日本に入ってくると事情は違ってきました。

江戸時代になると、幕府がキリスト教を禁止し、同時に国民を管理するために、寺院に対して、今で言う役所の戸籍を作るように命じます。

その為に、幕府はどの国民も必ずどこかのお寺の檀家(だんか)になるよう義務づけました。
これが今の「檀家制度」です。

お寺は「宗門人別帳(しゅうもんにんべつちょう)」に各檀家の戸籍を書き込み、キリシタンでないことを確認しました。

そのために各檀家は自分の菩提寺(ぼだいじ)で葬式や法要を営(いと)まなければならなくなったのです。これが今も続いている、いわゆる「葬式仏教」の始まりです。

仏教の死後の世界

ここからが、皆様にお伝えしたいことです。

人は亡くなった瞬間、現世でもない、来世でもない中途半端な世界に行くといいます。

この世界を「中有(ちゅうう)」とか「中陰(ちゅういん)」といい、四十九日間この世界をさまようといわれています。

亡くなったときには、頭に三角の天冠(てんがん)をつけ、経帷子(きょうかたびら)に身を包んだ死装束(しにしょうぞく)をしていたはずなのに、どこにもその自分の姿が見あたりません。

それもそのはず、中陰では、目に見えない存在になってしまうのです。

意識だけの存在ですから、香しか食べられないために「食香(じきこう)」を食します。
香だけしか食べられませんから、中陰の間は香を絶やさず手向(たむ)けるのです。

死者は、薄暗い中陰の世界を旅します。これが「冥途(めいど)の旅」です。

最初は、大きな山があり、そのすそ野を七日間かけて歩きます。

七日目に、秦広王(しんこうおう)という裁判官のところに着きます。ここでは生前の殺生(せっしょう)の罪が裁かれます。
この裁判所は、手続きが簡単でよほど悪いことをしていなければ書類審査のみでパスできるそうです。

さらに行くと「三途(さんず)の川」にさしかかります。
川の手前には「賽(さい)の河原」があり、子供たちが鬼にいじめられています。

親より先に死んで(逆縁)親を悲しませたからなのだそうです。
なんと理不尽で可愛そうなことでしょう。

この事で、ややもするとこれ幸いにと得体の知れない宗教団体から水子供養を迫られ、大金をはたいてしまうことになるのです。皆さん、気を付けましょうね。

しかしご安心下さい。なぜならば、子供たちは、慈愛あふれるお地蔵様がしっかりと両手に抱えて守ってくれています。

賽の河原には渡し舟があり、六文の船賃を払って渡してもらいます。
そのために、納棺のときに「六文銭」と印刷された紙を使者に持たせるのです。

川を渡ると、老婆が死者の衣をはぎ「縣衣翁(けんねおう)」という老人に渡します。

縣衣翁はその衣を「衣領樹(えりょうじゅ)」という木にかけ、前世の罪の重さを量って、次の裁判官に報告します。

この日は亡くなって十四日目です。
七日が一単位になっていますので、この日を二七日(にしちにち)といいます。

このようにして、死者は七日ごとの裁判にかけられて、七回目の裁判、つまり七七日(しちしちにち・なななのか)の四十九日目に最終裁判が下されることになるのです。

ですから、残された遺族は七日ごとに読経や布施、献灯や献花を行い供養をします。

あの有名な閻魔(えんま)大王は、五七日(ごひちにち)、つまり三十五日の担当の裁判官です。

そして最後の四十九日の裁判官は、泰山王(たいざんおう)といいます。
王は、死者に六つの鳥居を示しどれかを選ばせてくぐらせます。

その先には、六道世界のいずれかが待っています。

六道世界とは、「地獄」「餓鬼」「畜生」「阿修羅」「人間」「天」の六つの世界です。

死者は、六道のいずれかに偶然行くのではなく、生前の行為によって選ぶ鳥居が決まるそうです。

こうして中陰は終わるのですが、この四十九日目を中陰が明けることから満中陰(まんちゅういん)とか忌明(きあ)けと呼ぶのです。

分かっていただけたでしょうか。

私たちは、初七日とか四十九日ということをわからずに仏事ごとを行ったり、法要を行ったりしていますが、こういった意味があるのです。

四十九日の間、亡くなられた方は、苦労しながら前へ前へと旅しています。
ですから、お葬式のときにいただかれた香典に対するお返し「満中陰志」は急ぐ必要がないのです。

それよりも、しっかりと供養を優先し、故人の冥土の旅の後押しをし、七日、七日の法事を重ねていく。そのうちにその忙しさに紛れ、いつの間にかご遺族の悲しみが癒(いや)されていくことを、私は願っております。

そして、死者がよりよい世界に生まれ変わることを信じ、お寺参り、お墓参りを優先しご供養されることを望んでおります。

なぜ、四十九日は三ヶ月にかかるといけないの?

よく「四十九日が三ヶ月にかかるといけない」と言われます。

しかし、誰に聞いてもその理由がはっきりしません。近所の人に聞いたとか、親戚に言われたとか漠然としています。

結論から云うと、故人の魂の浄化の為にはきちっと繰り上げずに供養してあげることが大切です。

この四十九日の期間は故人にとって、浄土へ旅立つ準備をする大切な期間であり、供養する遺族にとっても二度とこない大切な期間です。
ですからしっかりと供養しなければなりません。

七という数字は物事が成就する数であり、その乗数が四十九日です。

初七日に始まり、満中陰忌まで七回供養してあげることによって、故人の霊魂が浄化していくのです。また、初七日の不動明王から満中陰の薬師如来まで七人の仏様が故人の魂をサポートして下さいます。

 一説によると、三ヶ月に四十九日が渡ると「始終苦が身につく」という単なる言葉の語呂合わせから三ケ月に掛かるといけないと言われます。

いずれにしても、誰か一人でも気にする人がいるようでしたら切り上げて法事をしてもいいでしょう。ただ、せめて身内だけでも四十九日まではしっかりと供養される方がよいのではないでしょうか。

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