本日は、千疋屋の「マンゴージュース」の紹介です。
皆さん、千疋(せんびき)屋というのはご存知ですよね。
社長わらし、この仕事をしていなければ知りませんでした(笑)
千疋屋とは?
千疋屋は、江戸時代後期に現在本店のある日本橋に露店を構えました。
なんと江戸時代ですよ。
そこで何を売ったか。埼玉県千疋村で獲れた桃、西瓜、まくわ瓜などの果物や野菜なんです。
看板は「水くわし安うり処」としたそうです。
「水くわし」とは水菓子、甘い果物という意味なんです。
当時のことですから、甘いものは売れたでしょうね。
創業者大島弁蔵さん、目の付け所がすごいです。
なんと氷をかんなで削ったかき氷まで販売したそうです。
時が経ち、お客様の階層が高くなるにつれ、取り扱う果物にも強くこだわりを持つようになります。
今でこそ「こだわり」を持った品というのは、数多くありますが、当時食べ物にこだわりを持つ売り方を考えたなんて凄いです。
輸送手段や保存技術が今ほど発達していなかったこの当時、品質の良い果物を確保するのは容易な事ではありません。
お客様にお届けする前の桃を、こたつに入れて熟させ、食べ頃になるとお持ちするなど工夫を凝らしました。
それが高じ、店の奥に幾つもの室(むろ)を設け、果物の熟度を調節するまでになったといいます。
千疋屋の「想い」
その原点は、お客様に本当に美味しいものを、美味しくした状態で食べていただきたいという「想い」であったと思います。
そして、明治になり政府は国家の近代化を進めたため、千疋屋は、欧米諸国の制度や技術、文化などを積極的に取り入れました。技術革新ですね。
西欧化は上流階級の人々や都市部の生活の中に急速に広まり、変わりゆく都市の街並みや貴婦人、紳士たちの立ち居振る舞いを横目に、人々は外国への憧れを強くしていったのです。
千疋屋は、その流れをいち早くとらえようと、以前から温めていたアイデアを形にします。
日本初の「フルーツパーラー」
その形が、「果物食堂」でした。
後のフルーツパーラーです。
「気軽に西洋風の食事やデザートを楽しめる店」をコンセプトに、苺ミルクやフルーツパンチ、アイスクリームソーダやショートケーキ、フルーツサンドイッチなど、日本ではほとんど目にすることが無かったメニューを果物食堂の目玉にしました。
お料理には果物を添え、目新しいハイカラな雰囲気に人々は引き寄せられ、果物食堂は大繁盛しました。
その後、のれん分けにより「京橋千疋屋」「銀座千疋屋」と規模を拡大していき、現在に至っています。
千疋屋の「銀座千疋屋・マンゴードリンク(2本)900㎖×2本」
それでは、そんな千疋屋の「銀座千疋屋・マンゴードリンク(2本)900㎖×2本」のご紹介です。
もう7~8年前でしょうか。
たまたまシャディの直営店に行った時。
当時の店長田中さん。
「どうぞ応接室に。ジュースでも出しますので」と案内される。
しばらくすると、グラスに入れたジュースを持ってきてくれる。
そのグラスもキンキンに冷えている。
「どうぞ!」ということで、一口飲む。
「なに⁉このジュース!」
ニタっと笑った田中さん。
「みなさん、そう言われます。美味しいでしょ!」
「千疋屋のマンゴージュースです」
ドローとしたミックスジュースのような食感。
マンゴーを食べているような喉ごし。
「これは美味い!」
「もう一杯どうですか?」
言葉に甘えてもう一杯お願いしてしまう。
「この夏、シャディが初めて取り扱った商品なんですが、私もお中元には使用しょうと思っています」と田中さん。
感動的なジュースであった。
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