サラダ館の「勝手応援団」

「北村写真研究所」さん

頑張っているいる人を手前みそに応援する「勝手に応援隊」今回は灯台下暗しというのでしょうか、頑張っている方が、サラダ館園部店の真隣におられました。

 

それが「北村写真研究所」さん。

 

さっそく社長わらし取材に突入です。迎えてくれたのはその頑張り、お人柄が初対面でわかる二代目の北村智志(36才)さん。さわやかな笑顔が印象的です。

 

「人生を記録する」をコンセプトにお客様に対して、手間、時間をかけることを惜(お)しまない。スタジオもかなり凝(こ)った作り。

 

社長わらしが「オッ!」と驚いたのが泣いている赤ちゃんの写真。「普段なら皆さんこんな写真は撮られません。ただこの時は、元気いっぱいに泣いている姿に、私の心が動いた瞬間だったんです」

 

まさにプロフェッショナル。「人生を記録する」のコンセプト通りの作品です。この写真、この赤ちゃんが大きくなった時に最高の両親からの贈りもの、プレゼントになるだろう。

 

「大手さんに勝つには1枚の写真にも手間ひまをかける。その結果として従業員、お客様みんなが幸せになれたらいいですね。そして私も」と笑う。

 

カメラ初心者の社長わらし。これからのお付き合いを約束して店をあとにしました。

 

「頑張れ若大将」

 

 

「北村写真研究所」さんの所在地

〒622-0013
京都府南丹市園部町本町16番地
tel fax 0771-62-0109
open 9:00 close 20:00 (平日)
open 9:00 close 18:00 (土日祝)
定休日 水曜日・第3火曜日

「アサヒシューズ」さん

タイヤメーカー「ブリヂストン」のルーツでもあるアサヒシューズ。

1998年に経営破綻(はたん)。

当時、学校の「上履き」で国内トップを争うメーカーだった。

安価な輸入品に押されて次第に業績が悪化した。

抱えた負債は当時の売上高の2倍にのぼった。

 

福岡県久留米市の靴メーカー「アサヒシューズ」が19年に及ぶ経営再建の手続きを今春(2017年)ようやく終え、再出発の道を歩み始めた。

 

 老舗が打ち出す、復活のキーワードが「健康」。

こだわりの靴づくりを、若い職人が支える。

 

昭和初期に建てられた九州久留米工場。

今年入社したばかりの若手が牛革を台に広げ、靴の型抜き作業を続けている。

すぐ後ろではベテランの職人が黙々と同じ作業を繰り返す。

時折、若手の様子をのぞき込み、技術を伝える。

 

 しかし、再建の道のりは簡単ではなかった。

2千人いた従業員も約800人に縮小した。

売上高は倒産前の7分の1以下まで減り、100億円を切った。

 

しかし「お客様に支持される靴を作りたい」その執念が実り、規模は小さくなったが利益を出せる道筋がついた。そして今年3月に再建手続きを終えた。

 

 そのアサヒシューズが特に力を入れる高齢者や障害者向けのブランドシューズ「快歩主義」。

 

 片足165グラムからと軽く、甲の部分には大きな面ファスナーを付けて脱ぎ履きしやすくした。

つまずきにくいようにつま先とかかとの部分を浮かせるなどの工夫も詰まっている。

 

 すべて本社のある九州久留米市の工場で製作。

2000年の発売以来、全国で800万足以上を販売してきた。

日本デザイン振興会の「グッドデザイン賞」も01年に受賞した。

「親へのプレゼントに」と買い求める中高年層も多い。

おしゃれを楽しみたい高齢者向けにデザインも多く、自信を持って薦めることができる。

 

 再起の模索から生まれた「快歩主義」。

 

「靴の原点、軽くて歩きやすい商品を生み出そう」と社員が部門の垣根を越えて知恵を絞り、理学療法士らの助言も受け、約1年かけて作り上げた。

 「快歩主義のヒットがなかったら、再建を断念していたかもしれない」と振り返る。

 

 06年には、かかとの特殊な部品でひざの負担を軽くする「アサヒメディカルウォーク」を発売。

 

この靴もヒット。高齢化が進み、健康志向が高まる時代のニーズをつかんだ。

 今後を担う若い力は、靴の品質を高めるだけでなく、生産現場からのアイデアも生かして商品開発にも関わっていくことが期待されている。

 

「明るい職場でやりがいがある。新しい商品を作るときは、ぜひ自分の力も発揮したい」

 

そんな「アサヒシューズ」だからサラダ館園部店は、応援しています。

フォト:坂本誠史郎選手後援会
オフィシャルサイトより

「坂本誠史郎」さん

社長わらしのふるさと兵庫県養父(やぶ)市出身の期待の星がいる。

それが阪神タイガース「坂本誠志郎」選手。

 

一昨年のドラフト会議で阪神より2位指名を受け入団(背番号12)。

 

彼は、養父小学校の1年生から地元少年野球チーム「養父カープ」に入部し、養父中学校を卒業後、大阪府の履正社高校に進学。

2年の夏と3年の春と2度の甲子園出場をはたす。

明治大学に進学した彼は、1年の秋から正捕手として活躍。

4年でキャプテンを務め、チームリーダーとして活躍する。

また、2015年7月に韓国で開催された第28回ユニバーシアード大会で目本代表の主将として、また正捕手として金メダルに貢献した。

 

そしてその年のドラフト会議で、阪神タイガースからドラフト2位指名を受け人団しました。

 

1年目の5月5日、披は初めて1軍に合流し、ベンチ入りを果たしている。

 

阪神ファンの社長わらし。早速「坂本誠史郎選手後援会」に入会。

 

ところが、ところがである。

 

阪神ファンとしては嬉し悲しいのだが、その年、高卒6年目の育成から這(は)い上がってきた同じ捕手・原口選手が5月5目から大活躍。

 

当然坂本選手の出番は少ない。

 

そして今年春、原口捕手が1塁にコンバートされると聞き、内心大喜び。

今年こそはレギュラーだと思いきや、春から梅野捕手が大活躍。

 

本当にツキがない。

 

こんな背番号12坂本誠史郎捕手ですが、是非とも応援下さい。